泣いてないふりは 傷を深くする
タイトルは「Mission of Love」より。
この曲は最初に聞いた時からとても好きで、いつか目の前でパフォーマンスを見られたらなと思っていた。
セクバニコンは、私は入れなかったので。
ただ、今のV6がやるにはちょっと甘さがさっぱりしすぎてるような。
うまく言えないけど、若いワインみたいな。
ワイン飲まないんで表現が正しいのかはわからない。
通勤途中の車窓から、咲き始めの桜が見られるようになってきた。
私は特に花見などは行わないけれど、桜を見るのは好きだ。
昨年は桜どころではなかった。
当たり前に咲いていたはずなのに見上げた記憶がない。
直近でいちばん鮮やかな桜の記憶は、森ノ宮の公園で見た桜だ。
2019年、舞台「空ばかり見ていた」を観劇するために大阪に赴き、生まれて初めて踏み入れる地だったのでまんまと道に迷った。
今にして思うと、何で迷えたのか不思議なほどだ。
駅からすごく簡単に行ける劇場なのに。
時間はあるからいいか、と立ち寄った公園でしばらく桜を眺めていた。
剛くんも桜を見たかなぁとのどかな気持ちで。
幸せな時間だった。
前年には剛くんに私的な慶事があり、それはいくらか世を騒がせてきっとたくさんの人を嘆かせ、離れていった人たちもいたことだろう。
私にとっては嘆くことではなかった。
喜ばしい出来事で、安心と期待しかなくて、だからそれから実に一年間も彼個人のお仕事の知らせがなかったことがもどかしくて仕方なかった。
待って待って、待ちかねた春だったのだ。
舞台は難解でハッピーな内容とは言えなかったけれど、あの日の記憶は私の中でただただ明るくあたたかい。
剛くんの舞台で桜といえば、もうひとつ、「すべての四月のために」にまつわる記憶もあるけれど、それはまたいつか。
このブログは秋まで続けるつもりだから機会はいずれ来るだろうと思う。
今日の私は、剛くんのお芝居のことばかり考えていた。
おそらくだからこそ、気持ちが落ち着いて前向きなのだろう。
先を見ていられるから。
失われてしまうものを少しだけ遠ざけて、春を楽しもうとしている。
まだ泣いて、何ができるかと悩んで声を上げている人たちがいることを知っていてその波には乗らずにいる。
きちんと生活をするために、私はそうしている。
それでいいと思う。
こうでなければならないと決めつけて無理をして、誰の何のためになるというのだろう。
今日は頭痛がしない。
穏やかな日だった。